STORY#03 <後編・フィヨルド>
アワード受賞作を壁紙に
第1回「サンゲツ壁紙デザインアワード」で大賞に輝いたのは、画家の山田茂さんの作品「mist(gold)」だった。金箔を背景に白いドットがランダムに散りばめられ、まるで霧のような湿潤な空気感を壁にまとわせる。そして第2回のアワードでも、山田さんの作品が大賞を受賞。黒地にシルバーのラインが斜めに走る「フィヨルド(fjord)」だ。ふたつの作品に共通しているのは箔を用いていること。日本の伝統技法を彷彿とさせながら、スタイリッシュな作風は、見るものを引きつける圧倒的なオーラを発するようだ。その源を探るべく、岡山県玉野市にある山田さんのアトリエを訪ねた。
写真/森田大貴
※本ページの掲載情報は取材当時(2020年9月)のものです。
PROJECT
壁一面に表現できるアート
「NY留学で空間とアートの関係性を知りました。
壁一面がアートに。それは壁紙なら実現できる」
― 山田茂
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「NY留学で空間とアートの関係性を知りました。
壁一面がアートに。それは壁紙なら実現できる」― 山田茂
絵筆をおく覚悟でニューヨークへ
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山田茂Shigeru Yamada
1966年岡山県生まれ。99年に渡米し、ニューヨークのThe Art Students League of New Yorkの彫刻科に入学。2005年に帰国後、横浜市でスタジオを開き、08年には岡山へ帰郷、作家活動を行う。主な受賞は、02年Nessa Cohen Memorial Grant ニューヨーク、17・18年サンゲツ壁紙デザインアワード大賞。
アートの島として知られる直島への交通手段となるフェリー乗り場のそば近くに山田茂さんのアトリエはある。ひとつの建物に数組のアーティストがアトリエを構えるコンプレックスで、訪問時には、併設されたギャラリーに山田さんの作品が展示されていた。自然光を受けて金や銀の箔がきらめき、また立体的なマチエールと豊かな色がミックスされた作品の数々。そのどれもが鋭く存在を訴えかけてくる。
作品のシャープな印象とは裏腹に、山田さんの声音は瀬戸内の海のように穏やかだ。
「33歳のとき、絵描き人生の終着点になるかもしれない、とニューヨークへ発ちました」。
まさかの発言が飛び出した。
「機械設計の会社に勤めるかたわら、がむしゃらに絵を描いていました。でも若さゆえなのでしょう、まわりの意見に翻弄されて自ら壁をつくり、そこにはまってしまって、次第に表現する楽しさを失ってしまったのです」。
それを打破するためのニューヨーク留学だった。現地で、歌やダンス、詩、絵画、彫刻など、ハングリー精神溢れるエネルギッシュなアーティストたちを目の当たりにした山田さんは、「好きに、自由に表現していいんだ」と、閉塞していた気持ちを解放、再び作品づくりに取り組むようになった。
描くだけではなく、多くのひとに見てもらおうと、山田さんは週末になると、住まいの近くのストリートで作品を販売することにした。「異国の地で、人脈も経験も、お金もない自分にできる手段はこれしかなかったんです」。最初は見向きもされなかったけれど、作品のサイズを揃えたり、展示台をつくり、環境をととのえることで、次第に立ち止まってくれるひとが増えていった。そのうち購入者が、作品を飾った空間の写真をメールで送ってくれたり、あるときは「デザイナーとして会社に迎えたい」という壁紙メーカーのひとも現れた。この経験から、絵を描き続けるのに、お金は必要不可であることを実感するとともに、「空間とアートの関係を意識するきっかけともなりました」。
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ニューヨークの美術学校で彫刻を学びつつ、ストリートで絵を売り、冬になるとソル・ルウット(1960年代のコンセプチュアルアートの先駆者である、アメリカの現代美術家)のアシスタントをするなど、さまざまな活動を経て、38歳になったときに日本で作家活動の足場をつくるべく帰国。横浜の北仲ホワイト(期間限定のアトリエコンプレックスで、設計事務所やアーティストが集まっていた)を拠点にしていたときには、ニューヨークで知り合った事業家の仕事を請け負ったり、建築家と知己を得た。その後、岡山に戻ると、自分で調べて地元建築家やデザイナーに営業をし始める。「種まきはたくさんしたけれど、芽が出るのに時間がかかりました」。いまでは、「空間にマッチしたものを」というオーダーの仕事を指名されることもあるとのこと。
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ニューヨークのストリートで絵を販売。「毎週が勝負でしたね。立地も重要で、ここは高級ブティックの前。竹を植えたアプローチがあったり、ちょっと座れるベンチがあって」(写真右が山田さんのテリトリー)と山田さんは振り返る。ここで培った経験が、作家活動に大きく作用した。写真提供/山田茂
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壁紙は作品の延長上にあった
作家を生業としてからコンクールの類には興味はなかったが、知人のSNSで「サンゲツ壁紙デザインアワード」の告知を知り、「壁一面が作品、それは壁紙なら実現できる」という思いを日頃から抱いていた山田さんは、「これならば」と、自らが編み出した技法を使った作品で応募することにした。
第1回アワードでは、琳派の屏風を思わせる金箔を背景に、もったりと白の絵の具を載せたランダムなドット「mist(gold)」で、見事大賞を受賞した。その後の商品化にあたって、広島の箔押し紙メーカーで製造、『2018-2020 XSELECT』に収録された。
※2018-2020 XSELECTは販売を終了しています。第1回アワードに応募した作品「mist(gold)」。 -
大賞発表時はちょうど壁紙見本帳『2018-2020 XSELECT』の制作期間中で、急遽収録が決まった。実際にニッチに貼った「SGB-110 mist(gold)」。
第2回の「フィヨルド(fjord)」は、モデリングペーストという大理石の粉とアクリルでできたパテ状の下地剤を塗った上にアルミ箔を貼ってから黒く塗装し、金属棒で引っ掻くことで線を表している。箔の重なりや線を引く力の加減などが作用して、きれいに溝ができるところ、箔が部分的にはがれて断面が見えるところ、といったように不均質な線になる、光も乱反射する。プリミティブさや力強さの由縁だ。見る角度や照明によって表情が変化し、深みを生んでいる。
「金属をカッターで切ったときに断面に現れる、たくさんの細かい線をイメージしました。箔はこれまでにもキャンバスの下地として貼っていて身近な素材。箔に絵の具を重ねると仕上がりの印象が強くなるんです」
線に角度をつけるにあたり、空間のバランスが崩れるのでは? という危惧もあったが、意外性を優先させた。ただし、鋭角だと空間に歪みをもたらす可能性があり、ゆるいと迫力がない。いくつも試作を重ねて、「主張しすぎない角度」で決めた。
「1本ずつていねいに引かないときれいな線にならないから、集中力が要ります」。応募作の制作にも約1カ月かかった。「フィヨルド」というタイトルは、「テクスチャーのランダムなラインが氷河擦痕のようにも見えたし、雄大な自然に身を置くイメージだった」からと話す。
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線を引くのは千枚通しのような道具。「ダイアモンドを削る道具で先端を尖らせ、太さを調整していました」。
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モデリングペースト、アルミ箔、黒絵の具と重ねた上から線を引く。ベースの厚みが立体感を生み出している。
職人的なつくり方
天井高が高く、広々としたアトリエには、これまでの作品が壁面を埋めていた。
「描きたいことはいっぱいあるんです」
次々に頭に浮かぶビジュアルをアウトプットする。つくる過程で変化したり、時間がかかったかと思えば、突如スピードアップしたり……。
「最近は、日本人の美意識に引かれることが多くて、たとえば禅の庭園や美術、侘び寂びの世界観を表現してみたい」と山田さん。屏風などの背景となる箔づかいが、西洋の画材と結びつき、独特のモダンさも醸し出す。
また、第1回大賞の「mist(gold)」、第2回大賞の「フィヨルド(fjord)」に共通する、手だからこその美しさも、山田さんの作品の特徴だ。「一見シンプルだけれど細かい仕事がしてある。そういった技を積み重ねていく職人仕事に憧れがありました。自分の作品も、絵を描くというより、“つくる”という感覚です」。
見るひとの心の奥を刺激する
山田さんの作風の微妙な凹凸や繊細な色は、アナログな手仕事で生まれる。とくに箔だからこその光沢は、作品の要となっているものだ。しかし、商品化にあたっては、素材も技法も印刷に置き換わる。それに対して「価格帯、使いやすさのほか、不燃や防カビといった機能面での制限もあるなか、バランスも大切だし、技術的に難しいこともあるだろうと思っていましたが、かなり忠実に再現していただきました」。
ニューヨークをはじめ西欧では、生活とアートの関係は密接だという。その実態をリアルに感じた経験があったからこそ、山田さんは、「心の奥を刺激できるような作品を世に送り出していきたい」と、空間に置かれるアートという意識をもって制作に臨んでいる。何よりも、「絵を描くことは、生きること」、そのモチベーションは高らかだ。
OUR VIEW POINT
ゼロベースだからこその新鮮味
原画に力があって、壁紙としての親和性も高い。
その存在感を損なわない製法を探りました。
― 坂戸雅彦
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原画に力があって、壁紙としての親和性も高い。
その存在感を損なわない製法を探りました。― 坂戸雅彦
— 「サンゲツ壁紙デザインアワード」の第1回、第2回、大賞はどちらも山田茂さんでした。
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坂戸雅彦Masahiko Sakado
株式会社 サンゲツ
インテリア事業本部壁装事業部
商品開発課
坂戸:第2回以降は名前を伏せて審査したのですが、蓋を開けてみたら第1回と同じ山田さんだったので、社内でも驚きでした。それだけ山田さんの作品は壁紙との親和性が高いということかもしれません。
第1回の「mist(gold)」は洋金を用いたもので、壁紙見本帳『2018-2020 XSELECT』に収録しました。手貼りの箔にグラビア印刷という新しい手法で、作品にあわせて技術を見つけていくというつくり方でした。第2回の「フィヨルド(fjord)」は、92㎝巾いっぱいに斜めの線が通るというデザインが新鮮でした。大きなピッチが住宅というより非住宅にぴったりだったので、コントラクト向けの不燃認定壁紙を収録した『2020-2022 FAITH』に掲載しました(TH30632、TH30633)。均一すぎない線の魅力があるけれど、ジョイントは目立ちます。しかし、通常デメリットととらえられるジョイントを気にせず、あえて厳密なリピートをしない、継ぎ目も含めてデザインされている点が既成概念を払拭していて、アワードの審査でもおもしろいと評価されていました。
※2020-2022 FAITHは販売を終了しています。現在は2022-2025 FAITHに掲載しています。(TH32884、TH32885)
— アワード作品を商品化するということは商品開発にどう影響していますか?
坂戸:アワードはサンゲツのブランディングや新たな才能の発掘を目的にしています。初めて出会ったデザイナーや作家さんとともに、作品からゼロベースでつくり上げていくということは、新たな表現方法の発見があるなど、商品開発にとってもプラスになっています。仕上がった壁紙そのものや、こういった取り組みがサンゲツらしさにつながっていけば良いなと思っています。
— 試作での、おもなチェックポイントは?
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坂戸:ベースの色と、ロータリーで印刷するラインの色とのコントラスト、艶感について山田さんに見ていただき、何度も修正しながらクオリティを上げていきました。手の跡や不均質さが魅力だったので、その表情をなるべく再現しようと思ってつくっていたのですが、92㎝巾の大きな面にした時に不均質にしている部分が塊となって、かえって規則的に見えてくるというような柄癖が出てしまいました。メーカーさんにも来てもらって、3、4巾を実際に壁に貼って、それを見ながら幾度となく修正を重ねました。1点ものの手仕事のアートを、リピートのある工業製品にする際の難しさというのがありました。
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— 応募作は、黒色のみでしたが、見本帳には白色(TH30633)も収録されています。
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坂戸:フィヨルドというタイトルからの発想で、夏のフィヨルド、冬のフィヨルドというイメージも良いね、と商品開発担当の中で話が出て、そこから白の提案をしました。原画に力があるので、白でも存在感が発揮できるはずとも考えました。展示会では、白と黒の両方をブースに貼ったのですが、どちらも建築家の方々に評判が良く、その場でサンプルのご請求をいただきました。
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左:黒「TH30632」/右:白「TH30633」
— シンプルなもの、木や石、コンクリートを模した壁紙も増えていますが、そこに一石を投じるような壁紙ですね。
坂戸:人の手でつくられたもので、木や石ではないけれど、そういう自然物を思わせる要素があったり、日本的な要素を含みながらもモダン。それは山田さんにしかつくれないものです。一般的に考えられる壁紙や、木や石のフェイクとしての壁紙などとは一線を画す壁紙となりました。
PRODUCT DETAIL
箔の光沢と質感のあるラインを印刷で
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「箔でなければ出ない光がある」と山田茂さんはいう。しかも、「フィヨルド」は画面いっぱいに手で引いた立体感のある線。それら繊細な表現をビニル壁紙で再現するために用いられたのは、グラビアとロータリーという印刷技法。ふたつの技法をひとつのライン(機械)で行うメーカーを訪れた。
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- [仕様]
- 素材:塩化ビニル
- 印刷:グラビア印刷(黒・パール、艶消し)、
- ロータリー印刷(発泡剤入りインク)
原画から印刷する要素を取り出す
—— 製版
原画は複雑な工程で制作されており、箔と細い線によるテクスチャーのある表現だ。それを印刷で表現するにあたり、①深みのある黒、箔による光の反射を表現するグレーの柄、②箔のきらめき、③凹凸のある箔の線、この3つの版を起こした。グラビア印刷はインクの載りが薄く立体感が表現できないので、ロータリー印刷をプラス。①と②はグラビア印刷で、③は発泡剤入りインクをロータリー印刷。発泡剤入りインクは加熱することでふくらむもので、それによってテクスチャーを持たせている。
*グラビア印刷は、印刷機のロールに30〜40ミクロンの深さで柄を彫り、そこにインクをつけてベースに移すことで印刷。ロータリー印刷は、ロールの中に塗料が入っており、柄の部分のみ開いた穴から出てきたインクをベースに載せる。ロータリーの方が厚みの調整が可能になる。
- [制作の工夫]
- 幅方向には線をつなげないことを前提にしているが、縦方向は斜めの線がつながらないと柄が途切れてしまうので、製版の精度を上げる必要があった。印刷は直径641.2㎜のロールを一周させながらインクを載せていくため、版のジョイント部分はノコギリの歯のようにギザギザにしており、さらに微妙な調整を施している。また、シルバーの線(②)を、発泡剤入りインクの線(③)よりも太らせることで、確実にきらめきが表に立つようにした。
簡易校正機と手作業で刷る
—— 試作
原画はA2サイズ(420×594㎜)。そのままでは壁紙の幅にならないので、拡大する必要があり、2パターンで試作して、山田さんに確認してもらった。また、ベースと発泡する線のコントラスト、艶については、手作業によってサンプルを作製、山田さんのチェックを受け、修正を重ねている。試作の工程は以下の通り。
- 銅でつくった版を簡易校正機にセットして、紙を空気圧で固定
- ベースの黒のインクを載せる
- 乾燥後、シルバーのインクを載せる
- ロータリー印刷の工程部分はスクリーンを用い、塗料を載せてからスキージで刷る
- 加熱して、4の線を発泡させる
- [制作の工夫]
- ロータリーの工程は、色が決まるまで手刷りで試作している。
1ラインでグラビアもロータリーも
—— 本生産
グラビアとロータリーは、一般的には別のラインで印刷するが、今回訪れたメーカーは、ひとつのラインで印刷できるように設計した機械を用いている。その手順は以下の通り。
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- 原紙に塩ビの塗料を塗布→乾燥→水で冷却
- ベースの黒をグラビア印刷→乾燥
- シルバーの線をグラビア印刷→乾燥
- 立体的な線となる発泡剤入りインクをロータリー印刷→乾燥
- グラビア印刷で艶消しのインクを載せる(黒のみ)→乾燥
- 加熱して4の線を発泡させる
- [制作の工夫]
- 黒・シルバー・発泡剤入りインク、それぞれの版がずれると絵柄が成立しないので、版ずれは御法度。そのため見当合わせという工程を踏んでいる。グラビアとロータリーをひとつのラインにすることで、見当合わせの精度を上げている。
*見当合わせは、すべての版の同じ位置にトンボというマークを入れて、ズレをチェックし、機械の調整を行う。
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千枚通し様の道具で描かれた不均質な線は、ロータリー印刷によって発泡剤入りインクを載せ、加熱して立体感を表す。
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黒とシルバーの線、発泡剤塗布のための印刷をした後に、全体に艶消しのインクを載せるグラビア印刷。
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グラビア印刷、ロータリー印刷をひとつのラインで印刷した後、ロール状に巻き取っていく。
手痕まで忠実に再現したビニル壁紙
手作業による繊細な表現の積み重ねがつくり上げる力強さ。今回、それをインテリアの素材として形にするために、メーカーの蓄積された技術力が存分に発揮された。
画面から発されるアートの凄みは、多くの人びとの目を釘付けにする。それが壁紙として壁一面に貼られれば、いっそう迫力を増す。山田さんならではの発想は、まだまだ頭の中に詰まっていて、出番を待っている。
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